ロボットは盛り上がるか、盛り上げるには
江島健太郎さんのblogでROBO-ONEの熱気をみてマイコン時代、8ビットパソコンの全盛期と重ねた見方が紹介された。
熱気、意気込みといったものを持つのは簡単だけども、それを維持、発展させるためには共有できる場が必要だと思う。理屈ではなく、経験的にそう感じている。
8ビットパソコンのあの時代では、ベーマガという場があり、そこでソースコードを閲覧することでそのプログラムを共有できた。実際にはフィードバックすることはできなかったのでプログラム自体を共有していたわけではないのだけど、作者が作ったもの、作者が表現したかったものがそのままの形で目の前に再現できた。気合さえあれば、そしてその作品にそれだけの魅力があれば、別機種のプログラムであろうとも目の前のパソコンに移植して雰囲気を感じ取ることすらできた。
これは絵画や音楽ではできない。絵は複製した時点で劣化する。音楽も作曲者と演奏者とで解釈、表現技術が異なる。まったく同じものは作れない。コンピュータプログラムだけがまったく同じ姿で複製できた。
ロボットはどうだろうか。
まだハードウェア主導のイベントだと思う。むしろ、ハードウェア主体であってほしい。しかし、それではマイコン時代に感じた熱気、あの人が作ったものが今目の前に! という感動は起こせないのではないだろうか。
幸い、ベースプラットフォームとなりうるモデルも販売されている。これが普及したならば、場の共有だけでなくあの時感じた、もっといろいろなものの「共有」「共感」が可能になるのではないだろうか。
ハードウェアの性能の差が面白さの絶対的指標ではないことを示してほしい。