陛下は韓国に行くのか

日経新聞の記事によると、民主党の小沢さんが陛下を韓国に訪問させようと計画しているようです。

韓国訪問だなんて、冗談じゃありません。陛下の政治的利用としか思えず、「象徴」という範囲を逸脱しています。

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どの口がそれをいうか

テレビ、雑誌、新聞、Web、blog。情報が掲載されているメディアがなんであるか、ということは情報の信頼性の基準とするべきではありません。Webに書いてあるから信頼できない、という人は同じ内容を紙に印刷したら信用してしまうのでしょうか。雑誌記事、新聞記事になっていたら信用してしまうのでしょうか。

雑誌記事、新聞記事になっているということはそれだけコストを掛けているということですからその分信頼できる、と考えることは可能です。逆に、「それだけのコストを掛けないと信頼性が得られない」という見方もできます。掲載メディアがなんであるか、ということと信頼できる情報であるか、ということは別の問題なのです。新聞や雑誌などのメディアであれば掲載、公表に至るまでに編集者のチェックが入るため安心、という主張もあります。この「編集者のチェック」というのは一般には誤った情報を取り除くためのフィルタと考えられます。目的はともかく、装置としてはただのフィルタです。情報の伝達経路にフィルタがあるから安心、というわけです。これも逆に考えるとフィルタがあるから安心できない、と考えることができます。本来受け取りたい情報であるにもかかわらずのフィルタが取り除いてしまうかもしれません。また、発信したい情報がフィルタによって取り除かれるかもしれません。フィルタを通すということは、生の信号では無くて加工済み、検閲済みの信号を得るということです。フィルタを通すということはフィルタによって変質させるということです。フィルタが信頼できない場合にはフィルタがあるから安心とは考えられません。

では、どういうところから得られた情報なら信頼できるのか。信頼できる「人」からの情報が信頼できるのです。伝達に用いられたメディアは関係ありません。社長がメールで「緊急・シークレット扱いで口座に入金するように」と指示するのと、内容証明郵便で、口頭で、手書きメモで、狼煙で、モールス信号で指示をするのとで信じたり信じなかったりするというのはおかしいです。

では、どういう人からの情報なら信頼に足るのか。これはなかなか難しい判断が必要で、お湯を掛けて3分というような訳にはいきません。信頼する、というは簡単です。自分で何も考えず言われたものを受け入れればよいのです。しかし、このような情報を鵜呑みにするという行為はリスクがありますし、そのような頭を使わない人に信頼されてもうれしくは無いでしょう。そのような考えの無い信頼には価値がありません。検証可能な情報を提供している、というのが一つのポイントになります。ある人が「1+1は2だ」と主張していたとして、その主張を信じるかどうか。この場合「1+1」という所まで開示していますからこちらで検証することができます。理屈の上では検証可能である、ということが重要で実際に検証できる能力があるかどうかは別問題です。「1+1くらいならともかく、耐震強度の検証だと実際に地震を起こして建物を壊さないと検証できなくなります。さて、これが「この問題の答えは2だ」という主張だと問題自体が提示されていないので検証することができません。何か隠しているということになるのでうかつに信頼する訳にはいきません。「100人のっても大丈夫」という主張は、実際に試すことができます。検証可能ですから信憑性は高いと考えられます。さらに深く考えると、嘘をつくメリット、嘘がばれたときのコストなどを考えたうえで真実である可能性を考える訳です。

「新聞記事ならともかく、Webに書いてあるようなたわごとを真に受けるなよ」という考え方があることは理解できます。新聞記事であればフィルタによって誤りが除去されているだろう、と判断することはそれほど不自然ではありません。しかし、書かれている内容の信頼性は書かれているメディアではなくて書いた「人」に強く依存していると私は考えます。

たとえば私の場合、仕事を進めてきた中で他の方が書いたプログラムに対して「このプログラムは間違っている」「これでは意図したようには動かない」と誤りを指摘することがあります。最初のうちは「どこが間違っているのか」と言われました。私からの情報だけでは信頼性が欠如していたためです。その度にシーケンスチャートなどの資料を作成し納得していただけるような解説、レビューを行ってきました。こうした活動を2年近く続けてきたいか、今では「このプログラムは間違っている」と言うとすぐに「どこが間違っているのか」と訊かれるようになりました。……ってこれでは何も変わっていないように見えますが。最初の頃に言われていた「どこが間違っているのか」と今言われる「どこが間違っているのか」では大きく意味が異なっています。

2年ほど継続していることにより、ある種の信頼が生まれていると考えられ、当初は上司経由で連絡していたものでも直接通知しても問題なく期待したような対応が取られますし、もちろんメールでも電話でも口頭といった伝達手段、メディアの違いによって信頼されずに対応が変わるということありません。

小寺さんのツールとインフラという文章を読んで「メディア」とは単にインフラだけを指すという発想をする人間がすでに現れているという記述にちょっと違和感を覚え、瀬在丸紅子のセリフを思い出したのでした。

どのようなフィルタを経由するか、どのような伝達経路で到達するか、ということは関係なく発信者が誰か。これが重要なのだと思います。

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CMの効果

cnetの記事で紹介された電通の調査によると、HDDレコーダのようなデジタル録画機器を保有している人の方がCMの認知度が高いとのこと。

何を当り前のことを、という感じがしますがこれは以前に録画する人はCMを見ていないという調査報告が挙げられていたためです。

TVなんてものは今では2万円くらいで購入できます。にもかかわらず、さらに5万円以上もするようなHDDレコーダやDVDレコーダを購入してまでTV番組を見ようとしているわけですから、当然そのような人達はTVを長時間視聴しているでしょう。この人達は、本来無料で見られていたはずのものに対して、お金を出してまで見ようとするほどTV番組を見るのが好きなのです。当然、CMとの接触率も高くなるはずです。

視聴率だけで計算するのではなく、視聴時間で考えるべきだと思います。

デジタル録画機器の保有者との意識の違いということでとられたアンケート項目が面白いので紹介します。

広告は時代の流れを反映している
ここでいう「時代の流れ」というのは、アンケート対象者が認識している時代の流れです。広告を見ている時間が長ければ、広告を流行だと認識するでしょう。広告から入力された「時代の流れ」なので「時代の流れ」は広告に一致するのは当然です。
広告で生活に便利な情報が分かる
広告と接する時間が増えれば、当然その他のメディアから摂取できる情報量が減ります。たとえば、4時間TVを見るが新聞は読まない、という人ならTVからは便利な情報が得られるでしょうが新聞からは得られません。広告と長時間接している人は広告以外のメディアからはあまり情報を得ていないのは当然のことです。

話題になるTVCMは見たい
話題を追いかけたい、という心理に付いては特に触れません。話題になる映画は見たい、とか本は読みたい、とかそれらと同じことでしょう。
広告で見たことを日常の話題にする
話題にできる事柄と言うのは基本的には身近なものか共通する認識があるものでしょう。広告が身近な存在なのでそれを話題にしてしまうわけです。そして話題になるから広告を見たくなる。先の項目とも関連します。
関心のある広告の商品は注視する
そりゃ、関心のあるものは見るでしょう。関心のある試験の答案とか。
TVCMの商品は親しみが持てる
身近なものには親近感を抱くという錯覚です。TVCMが身近な存在なのでそれらについて親近感を抱いているわけです。

アンケート項目からして鶏が先か卵が先かという雰囲気がしますが、TVが好きだからデジタル録画機器を購入してまでTVを視聴しているわけで、そうした方々にとってはTVCMというのは身近で親近感のある存在なのでしょう。

TVCMの価値は下落していない、という結論を導くために提出した資料という印象です。高額なデジタル録画機器を購入してまでTVを見ようとしてくれる人に、どうやってスキップされずに広告を見せるかというのが今後の課題なのですが、その問題に付いては一切触れていません。

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ヒトの顔の役割とは

加護と辻の区別がつかない。

以前にも書いたが、中学、高校と同じ学校に通っていた双子の兄弟がいるのだがどちらがどちらか、見た目では区別ができない。知り合いは大抵できているので私だけ区別ができないようだ。ただし、スト2で対戦すれば判る。

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/.J忘年会@札幌

/.Jの忘年会が札幌においても行われるということだったので、せっかくだから参加してきた。

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